昔の日本人の娯楽とは?
誰もが見るエンターテインメントといえば、やはりテレビでしょう。
テレビには、ドラマやバラエティ、お笑い、音楽、スポーツ、ニュースなど様々な番組があります。
テレビが出現する前には、ラジオの時代がありました。
では、テレビやラジオがなかった時代、日本人はどんな娯楽を楽しんでいたのでしょうか?
代表的なものは、落語や漫才、歌舞伎や能、狂言などの舞台芸能でした。
このうち、「能」と「狂言」は日本人にとってもなかなか区別がつきにくいものでしょう。
どのように違うのでしょうか?
「能」と「狂言」の違いはなに?
テレビ番組にたとえると、「能」はシリアスドラマ、「狂言」はお笑い番組といえます。
「能」は、人間の情念、深い心理などをテーマとして扱うものです。
役者は「能面」で顔を覆い、その「面」の動きや角度によって喜怒哀楽のすべてを表現します。
一方、「狂言」は、人間社会のおかしさを扱います。
役者が演じるのは、貴族や武士、一般の庶民などです。
身の回りによくいる人物たちであり、彼らのおかしな行動や言葉、動きなどで、観客を笑わせます。
「能」がシリアスな幽玄の世界を描くのに対し、「狂言」は日常的な暮らしの中にある笑いがテーマなのです。
これだけの違いがあるのに、この二つをしっかりと区別できる人は多くはないようです。
その理由は、もともとこの二つは同じ芸能だったからなのです。
その源流は、平安時代に生まれたとされる「猿楽」です。
「猿楽」は、サーカスのような曲芸や手品、物まねなど多種多様な要素を含む芸能でした。
それが、シリアスな要素が「能」に、お笑いの要素が「狂言」へと分かれていったのです。
しかし、芸能としては分離したものの、「能」と「狂言」は一緒に上演されました。
観客は、シリアスな「能」を見た後に「狂言」を見て笑い転げ、再びシリアスな「能」を見ていました。
ちなみに、過去の日本で「能」や「狂言」が人気を誇った要因に、鎌倉時代から室町時代にかけて盛り上がった「立ち合い能」がありました。
これは芸能一座がその演目を上演しあう勝負をしたのです。
「立ち合い能」で勝ち上がれば、一座の人気は上がります。
このような競い合いの上に「能」や「狂言」は進化していったのです。
今のテレビでも、芸人たちがお互いの芸を見せて優劣を競う「お笑いバトル」的な番組が人気ですが、それは、今から700年も以前から行われていたわけです。