「横書き」は「左から右」に書くのではないの?
通常、「横書き」の文字は「左から右」に書きますよね。
ところが、「横書き」にもかかわらず、「右から左」へと逆順で書かれているものもあります。
たとえば、お寺や神社の表札のようなもの、正式にいえば「扁額(へんがく)」です。
通常なら左から「○○寺」と書かれるところを、「寺○○」と書かれています。
また、額に収められた横書きの書などもそうです。
「右からの横書き」になっている理由はなんでしょうか?
「横書き」が「右から左」になっている理由は?
それは、昔の日本では「縦書き」でも「横書き」でも、「右から左」へと書いていくのが普通だったからなのです。
漢字は、右から左へと読み進めることを前提に、文字の形が作られています。
一つの字を書き終えた後は、下に進む、あるいは左(もしくは左上)に進むように決められていました。
だから、昔は「縦書き」でも「横書き」でも「右から左」へと書いたのです。
ただし、「扁額」が「右から左」に書かれているの理由として、他の説もあります。
「1行1文字のマス」に「縦書き」したから、「右から左」に書かれたのだというのです。
この説によると、「横書き」ではなく、「縦書き」のルールで書かれた結果が、「右からの横書き」に見えているということになります。
いずれにせよ、昔は「右から左」へと書かれていた「横書き」が、なぜ、「左から右」へと書かれることになったのでしょうか?
「横書き」が「左から右」に変わった理由は?
それは、江戸時代後期に蘭学など欧米の学問や文化が日本に入ってきたことによります。
1788年にオランダの文化や学問を紹介した「蘭学階梯」が刊行され、その中で「左からの横書き」のオランダ語が紹介されています。
1885年に作成された外国語の辞書では、まだ「日本語は縦書き、外国語は横書き」で表記され、辞書を90°回転させないと読めないとという不便さがあったといわれています。
その後、外国語にならった「左からの横書き」文化は日本に浸透し、第二次世界大戦前には随所で、日本語でも「左からの横書き」の文書ができていたようです。
ちなみに、新聞が見出しで「左からの横書き」を採用したのは、終戦直後の1946年1月1日の読売報知新聞が最初だとされています。
一方、裁判所では長い間、「縦書き」文書だったのですが、やっと2001年1月1日から「左からの横書き」が用いられるようになりました。
日本語で「左からの横書き」が浸透したのは、欧米の文化が入ってきたことがきっかけでしたが、古いお寺や神社はそれ以前からあるわけで、だから「扁額」は「右からの横書き」なのです。
ちなみに、書道の世界では、昔にならい今も「右からの横書き」のスタイルが踏襲されているようです。
こうしてみると、今では一般的な「左からの横書き」の歴史はけっこう浅いものといえますね。