日本人はきれい好き?
トロイ遺跡の発掘で世界的に有名なシュリーマンは、江戸時代の日本を旅した記録「シュリーマン旅行記 清国・日本」を残しています。
その中で、日本人が毎日、銭湯に通うことに驚き、世界でも類を見ないほど清潔な国民と評したといいます。
日本人は昔からきれい好きなのです。
海外からの旅行者が日本に来て驚くことの一つが、街の清潔さです。
毎朝、ゴミ回収車が街の隅々を走って、ゴミステーションに出されたものを回収しています。
住民がゴミを出す際も、「燃えるゴミ」、「燃えないゴミ」、「リサイクルゴミ」など、種類ごとに分類し、ゴミステーションに持っていきます。
タバコの吸い殻などをポイ捨てする輩もいますが、自分の家の前、店舗の前は各自がこまめに掃除するので、路上はいつもきれいです。
このように、東京などの街が清潔なのは、ゴミ回収システムがきちんと機能していることと、住民の清潔に対する意識が高いことがあるでしょう。
日本の街が清潔なのは、いまに限った話ではありません。
江戸時代も街がきれいだった?
シュリーマンだけではなく、江戸時代に日本を訪れた外国人も、江戸の街の清潔さについて記録を残しています。
ゴミの回収が始まったのも、江戸時代の1662年とされています。
1697年にはそのための役職として、「芥改役(あくたあらためやく)」が設けられました。
当時のゴミのリサイクルシステムは、現在よりも進んでいたかもしれません。
廃棄物と思われるような木くず、古い布さえリサイクルできるものとして、売り買いされていたため、ゴミにはなりませんでした。
さらには、人間の排泄物ですら、農作物の肥やしとして、農村に売られていたのです。
驚くべきことに、排泄物にはランクが設定され、大名や商人の家から出るものは価格が高く、一般庶民の排泄物は安くなっていたといいます。
江戸は100万人を超える大都市であったといいますが、その人口を支えるには排泄物やゴミ問題を解決しなければならなかったのです。
それらを、なんでもリサイクルしてゴミにしないというエコなシステムで実現していたのです。
まさに、「もったいない」を体現した都市であったといえます。
その意識が、現在の日本人にも脈々と受け継がれているからこそ、東京などの街は清潔さを保っているわけです。