「歌舞伎」はよくわからない?

「歌舞伎」は日本の伝統芸能の一つですが、よくわからない点もあります。

たとえば、「なぜ歌舞伎は男のみで演じることになっているのか?」「歌舞伎役者と屋号の関係は?」「歌舞伎役者は世襲なのか?」などです。

以下に、これらの疑問について解き明かしていきましょう。

歌舞伎の獅子の画像

なぜ「歌舞伎」は男のみで演じることになっているの?

もともと「歌舞伎」は、16世紀末の安土桃山時代に出雲阿国(いずものおくに)という女性が始めたものです。

創始者が女性なのに、なぜ今は女性の役者が登場しないのでしょうか?

当時、出雲阿国が歌舞伎踊りで評判を集めると、阿国をまねた遊女たちが「女歌舞伎」を始めて人気を集めました。

興行のあと、彼女たちは宴席に呼ばれて本業をこなしたというわけです。

しかし、これは「風俗を乱す」という理由で、彼女たちが行った「女歌舞伎」「女浄瑠璃」など、女性が演じる興行はすべて禁止されたのです。

そこで、女性がだめならばと、今度は成人前の美少年たちが演じる「若衆歌舞伎」ができましたが、それも男色のターゲットになるということで禁止されました。

その結果、成人男性の役者が演じる「野郎歌舞伎」の時代となり、現在の「歌舞伎」の基本の形になったのです。

とはいっても、現在の「歌舞伎」には子供の役者も登場しますが。

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「歌舞伎役者」と「屋号」の関係は?

「歌舞伎」の舞台では、役者に向かってよく「成田屋!」、「音羽屋!」などの「屋号」で声をかけますが、その起源は何なのでしょうか?

それは江戸時代までさかのぼります。

当時は、「歌舞伎役者」は人気があっても身分は低いとされていました。

しかし、幕府で「役者は良民」と判断されたことから、それまで劇場付近の裏通りに固まって住んでいた役者たちは、堂々と表通りに住むようになったのです。

ところが、当時の決まりでは表通りに住めるのは商家だけだったのです。

そこで、役者たちは商家と装うために今でいう化粧品屋や薬屋などを開いたため、いつの間にか役者同士がその商家の屋号で呼び合うようになったのです。

つまり、「役者屋号」というのは、もともとは商家という建前を得るための手段として生まれたものなのです。

ここで、現代でも使われている「歌舞伎役者屋号」の例を紹介しましょう。

  • 「成田屋(なりたや)」: 市川宗家(團十郎、海老蔵)
    「成田屋」は商家の屋号ではなく、初代團十郎が「成田不動明王」の信仰にあつかったため、名付けられたといわれています。
  • 「高麗屋(こうらいや)」: 松本家(松本幸四郎、市川染五郎)
    「高麗屋」は「成田屋」の親戚筋に当たります。
  • 「音羽屋(おとわや)」: 尾上家(菊五郎、菊之助、松也)
  • 「播磨屋(はりまや)」: 中村家(吉右衛門など)
  • 「成駒屋(なりこまや)」: 中村家(芝翫、橋之助)
  • 「萬屋(よろずや)」: 中村家(獅童など)
  • 「松嶋屋(まつしまや)」: 片岡家(愛之助など)

これらの中にはご存知の役者さんがいるかと思います。

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「歌舞伎役者」は世襲なのか?

「歌舞伎界」のことを「梨園(りえん)」といいます。

これは、芸能を好んだ唐時代の玄宗皇帝(楊貴妃の名とともに有名ですね)が、音楽の奏者たちなどを集めて宮廷内の梨園(梨のある園)で音楽や舞を勉強させたことから、のちに劇団のことを梨園と呼んだことに由来します。

ところで、「歌舞伎役者」は代々続くものなので、梨園に生まれなければ「歌舞伎役者」になれない(いわゆる世襲)と思われがちですが、実はそうではないのです。

役者に弟子入りするほか、国立劇場に付属している伝統芸能伝承者養成所に入るルートもあります。

立ち回りや日本舞踊、長唄などを2~3年学び、舞台で下積みを経験して、才能が認められると「歌舞伎役者」の養子や芸養子に迎えられることもあります。

現在活躍している「歌舞伎役者」のうち約3割は研修生出身といわれています。

一般家庭から「梨園」に入るケースも意外と多いのです。

しかし、その道はやはり長くて狭き門でしょうね。

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