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名前の付け方は?
かつての日本人、特に武士は、一生の間に何度も名前を変えていました。
徳川家康は、幼名が「竹千代」、元服(成人)して「元信」、その後「元康」、「家康」と変えていました。
ところが現代では、生まれたときに親がつけた名前を原則、一生使います。
だから、親は子供の名前に頭を悩まします。
今でこそ「キラキラネーム」といわれますが、明治の文豪、森鴎外はすでに自分の子供たちに、「茉莉(まり)」、「杏奴(あんぬ)」、「不律(ふりつ)」、「類(るい)」という、当時の日本人としては極めて珍しい名前をつけていました。
将来、日本人が海外と交流することを見越して、欧米人にも呼びやすい名前にしたといいます。
女性の名前に「○○子」が多くつけられたのはいつ頃?
明治から大正、昭和にかけては、ある名前が広くつけられました。
「和子」、「幸子」など、「子」がつく名前です。
1920年(大正9年)から1957年(昭和32年)あたりまで、女性の名前の1位から10位までを「○○子」が独占していたほどです。
1970年(昭和45年)代まで女性の名前といえば、「子」がつくのが当たり前だったのです。
なぜでしょうか?
じつは、「○○子」がそれほどまでに多かったのは、長い歴史の中でも、その時期だけなのです。
もともと「子」がつく名前は男性だった?
それどころか、そもそも「子」がつくのは男性の名前でした。
日本史に登場する飛鳥時代の「蘇我馬子」や「小野妹子」も男性でした。
もともとは、中国の「孔子」、「孟子」など、偉大な思想家の名前に先生を意味する「子」がつけられていたからです。
その後、「子」は高貴な女性にも?
その後、高貴な女性にも「子」がつけられるようになりました。
源氏物語を書いた紫式部が仕えたのは「彰子」ですし、「平家物語」に登場する平清盛の娘は「徳子」です。
そのため長い間、日本では「○子」は、一般庶民が簡単に使っていい名前ではないと考えられていたのです。
ある年齢以上の女性に「○○子」という名前が多いのはなぜ?
明治時代も後半になると、その意識が弱まってきて、それにあわせて、多くの親たちが自分の娘にも高貴な名前をと「子」をつけだしたのです。
これが、ある年齢以上の女性に「○○子」という名前が多い理由なのです。
今では、女の子の名前に「○○子」とつけるのは、古臭いイメージがするため敬遠されているようですね。