「節分」といえば「恵方巻」?

「恵方巻」とは、節分の夜にその年によって決まっている「恵方(吉の方角)」に向かって、願い事を思い浮かべながら黙って丸かぶり(丸かじり)し、最後まで食べきると願い事がかなうとされる「巻寿司」のことです。

節分が近づくと、「恵方巻」の宣伝がテレビやコンビニ、スーパー、レストランなどで活発になり、いざ節分になると「恵方巻」がいたるところで売り出されます。

いまや、節分といえば、「豆まき」よりも「恵方巻」を思い出す人の方が多くなったのではないかと思えるくらいです。

恵方巻を食べている子供たちの画像

でも、以前は節分といっても「恵方巻」のことをほとんど聞きませんでしたよね。

ところが、いつの間に全国的に有名になりました。

そこで、「恵方巻」のそもそもの由来や、どうして全国的に有名になったのかについて、みていきましょう。

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「恵方巻」の由来ってなに?

「恵方巻」の風習は、一般的には大阪発祥といわれていますが、もともとは大阪でもあまり知られていなかったようですし、「恵方巻」という名前でもなかったようです。

また、その起源についても、次のようないろいろな説があり、はっきりとはしていないのです。

  • 大阪・船場で商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが始まり
  • 船場の色街で、女性が階段の中段に立って、丸かぶりして願い事をしたらかなったという故事にちなむ
  • 江戸時代中期、節分のころに香の物入りの巻き寿司を切らずに丸のまま恵方を向いて食べ、縁起をかついだ。これが、やがて節分に恵方を向いて、巻寿司を丸かじりすると、その年の福がさずかるという招福の習わしになった
  • 船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻寿司を丸かぶりさせて、お大尽遊びをしていたことに端を発する
  • 戦国時代の武将が、節分の日に丸かぶりして出陣したら戦に勝ったので、以後縁起の良いこととしたことに端を発する

このように起源もはっきりせず、大阪でも一般的なものではなかったのです。

ところが、1970年代半ばに大阪の海苔業界と寿司業界が、海苔を使用する太巻寿司を「幸運巻寿司」として、販売促進キャンペーンを行いました。

その後も、各種のキャンペーンが継続され、やっと大阪では知名度が高まりました。

とはいっても、まだまだ大阪のローカルな風習にすぎませんでした。

ところが、さらにその後、あっという間に全国的に知られるようになりました。

その経緯について、見ていきましょう。

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どうして全国的に有名になったの?

この巻寿司の全国展開の先駆けは「小僧寿し」でした。

「小僧寿し」は1980年代中ごろより「縁起巻」という名前で全国展開を行い、毎年キャンペーンを行っていましたが、残念ながらブームにはなりませんでした。

1989年に「セブンイレブン」が大阪での丸かぶり巻寿司を参考に、「恵方巻」と名付けて広島市で販売開始しました。

その後、西日本に販売エリアを拡大、そしてさらに全国展開したことで、全国的に有名になったのです。

これを追いかけるように、コンビニ業界、スーパー業界、レストラン業界も進出し、もともとは大阪のローカルな節分の風習が、いまや全国的な風習として定着しているしだいです。

さらに、節分が年に4回あることから、2月の節分以外に春(5月)、夏(8月)、秋(11月)にも「恵方巻」が販売され始めています。

でも、「恵方巻」と言えば、やはり2月の節分の食べ物ですよね。

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