勘定の時に「お愛想」というようになったのはなぜ?


会社帰りの一杯は、サラリーマンには欠かせないお楽しみの一つですね。

行きつけの店などでひとしきり飲み「さあ帰るか」となるころには、店の人にきっとこんなふうに声をかけているに違いありません。

「すいません! おあいそ!」

飲み慣れた人ならだれでも一度は口にしたことがあるこの「お愛想」という言葉、じつは本当の意味はちょっと意外なものです。

よく「愛想が良い}、「愛想が悪い」などと使われるように、「愛想」とは「人と接するときの態度」のことで、「相手を喜ばせる態度」という意味を表す「愛嬌」とともに、仏教用語がルーツなのです。

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仏教用語としての本来の意味は?

この「愛嬌」は本来「愛敬」と書き「あいぎょう」と読んで仏教語でした。愛(いつく)しみ敬(うやま)うことを意味したのです。

仏や菩薩の容貌は穏和で慈悲深く、拝む人たちが愛敬せずにはいられない相を表しておられるので、その相を「愛敬相」といいます。

「愛嬌」は、その「愛敬相」から来たものなのです。

また、「愛想」という言葉も、本来は「愛想(あいそ)」で、そのもとは同じ「愛敬相」から出た言葉です。

同じ「愛敬相」「愛敬」「愛想」が生まれ、それが、「愛嬌」「愛想」となったわけですが、いずれも、もとは仏や菩薩の顔の相だったのです。

では、なぜこの「愛想」「勘定」を意味する言葉になったのでしょうか?

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「愛想」が「勘定」を意味するようになったのはなぜ?

有力な説は、もともとは客に代金を請求するときに「(こんな店で)愛想がなくて申し訳ありません」、あるいは「(お楽しみのところ代金の話などして)愛想がなくて申し訳ありません」といった意味で、店側が使用したのが始まりだというものです。

また、同じくらい有力な説は、寿司屋で機嫌よく食べていても、いざ勘定を見せられると「高いな」と客が愛想をつかします。

これを見て店側が勘定書を「愛想尽かし」と呼び、いつの頃からか「お愛想」と略されるようになったというものです。

さらにはこんな説もあります。

昔は僧侶も遊里に通っており、遊女の間で仏教用語が面白がられて使われていました。

そこで帰る客に対し「もうお愛想(尽かし)?」という意味で、「支払い」=「お愛想」となったというものです。

どれが真相かは定かではありませんが、いずれにせよ「お愛想」は店側が使う言葉であって、客側が使う言葉ではないことは確かです。

常連客を気取って「おやじ、おあいそ!」などと声をかけるのは、店に対して「愛想が尽きたから帰る」という意味にもなりかねないので、やめた方がよさそうです。

もっとも、今では「お愛想」=「お勘定」として広く使われているのが実態ですが。

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