「バレンタインデーにチョコレート」の由来?
バレンタインデーはキリスト教におけるイベントの一つで、海外では男女が愛を誓う日とされています。
ところが日本では、女性が男性にチョコレートを贈って愛を告げる日と、イベントの意味が変わっています。
なぜ日本にはそのような形で広まったのでしょうか?
じつは、お菓子メーカーのモロゾフが1936年に、外国人向けの英字新聞に「バレンタインデー用チョコレート」の広告を出したことが始まりとされています。
その後、お菓子メーカー各社が、「2月14日にはチョコレートを贈り愛の告白を!」とキャンペーンを展開したのが定着したのです。
「土用の丑の日」に「うなぎ」を食べるようになったのはなぜ?
じつは、この手の販売促進キャンペーンは江戸時代にもありました。
それが、「土用の丑の日にうなぎを食べよう!」というものでした。
「土用」というのは期間で、春夏秋冬にそれぞれ1回、18日ずつ巡ってきます。
その間に来る「丑の日」が「土用の丑の日」となります。
そもそも「うなぎ」がおいしく食べられる旬は、秋から冬の時期です。
そのため、夏は「うなぎ」を食べる人が少なかったのです。
なんとか夏に「うなぎ」を食べさせる方法はないかと、うなぎ屋を営む知人から相談を受けた平賀源内が、「本日は土用の丑の日」というキャッチコピーを考えて、うなぎ屋に掲げたところ大繁盛しました。
そこから、「土用の丑の日」に「うなぎ」を食べるという風習が生まれたとされています。
もともと「土用の丑の日」には、うさぎ、うどん、うり、梅干しなど、名前に「う」のつくものを食べる風習があったのです。
そこで平賀源内は、名前に「う」のつくものとして「うなぎ」をアピールした作戦を思い付いたわけです。
なお、平賀源内は、西洋から伝わってきた壊れたエレキテル(静電気を発生させる機械)を修理したり、お芝居の台本を書いたり、源内焼という焼き物を考案したり、油絵を描いたりという、非常に幅広い分野で才能を発揮した人物でした。
この「うなぎ」の例は、日本初の「広告コピー」ともされています。