「和歌」に親しみを感じていますか?

「和歌」「俳句」というと、義務教育で習ったような記憶があるにはあるのですが、今では一部のマニアを除いてたしなむということは少なくなった感があります。

歌を詠むことは日本では昔から一種の娯楽として親しまれてきたものなのです。

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「和歌」とは?

「和歌」とは、漢詩に対して上代から行われた日本固有の詩歌で、五音と七音を基調とする長歌・短歌・旋頭歌(せどうか)・片歌(かたうた)などの総称でした。

しかし、「万葉集」以後は「短歌」以外は次第に影をひそめ,「和歌」といえば直ちに「短歌」をさすようになりました。

現在「和歌」といえば、五・七・五・七・七の31音でつづる「短歌」のことを指します。

また、「和歌」のことを「みそひともじ(三十一文字)」ともいいます。

小野小町の和歌「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」の画像

「和歌」は平安貴族たちだけの趣味ではなく、庶民の間でも流行っていました。

有名な「万葉集」には貴族たちが詠んだ歌が集められていることで有名ですが、じつは約3分の1は詠み人知らずとなっており、これらには庶民が詠んだ歌も多く含まれています。

また、有名な歌人「柿本人麻呂」でさえ生没年月日すら不詳で、貴族にしても身分はかなり低かったと考えられており、詠われている内容も恋愛の歌が圧倒的に多いです。

これらはまるで現代のラブソングと同じような扱いをされていたのです。

さて、「和歌」には「和歌の神様」がいるのをご存知でしょうか?

「和歌三神」と呼ばれる和歌を守護する三柱の神のことで、「住吉大神」、「玉津島明神」、「柿本人麻呂」のことを指します。

このうち、「玉津島明神」は女神です。

古代より男尊女卑の気風が強かった時代が続いたとはいえ、女性でも歌を詠むことは禁じられていなかったのです。

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「俳句」とは?

その「和歌」も時代が変わるとともに短縮化されていきました。

「和歌」五・七・五・七・七の31音で構成されることが定型でしたが、それが時代とともに五・七・五の17音「俳句」「川柳」という形に転化していったのです。

「俳句」の語は江戸時代前期から散見されますが、それは「俳諧の句」の意味で、連歌のなかの一句あるいは発句 (ほっく) を意味しました。

その後、俳諧の発句(さいしょの一句)が独立し、「俳諧の句」を略して「俳句」と呼ばれるようになりました。

「俳句」は、五・七・五の17音の短詩形で、原則として季語を用いるのが特徴です。

また、題材としては、季語を用いつつ主に自然を対象に詠むことが中心となっています。

罰を芭蕉の俳句「古池や蛙飛びこむ水の音」の画像

「川柳」とは?

江戸中期の「柄井川柳」が選んだ句の中から選出された「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」が刊行されて人気を博し、これ以降「川柳」という名前が定着しました。

「川柳」は、「俳句」よりもより庶民的な傾向が強くなり、内容的にもかなり風刺の効いた、ユーモアの要素が増えていったのです。

また、「川柳」「俳句」と同じく五・七・五の17音から成りますが、季語や題材の制約もなく世情や人情などが主に扱われます。

最近では「サラリーマン川柳」、「シルバー川柳」など、風刺の効いたクスリと笑いを誘う川柳がブームになっているのはご存知でしょう。

サラリーマン川柳 2018 第一位「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」の画像

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