生の魚介類や肉を食べるのは世界でも珍しい?
火を通さずに魚介類や肉を食べる、いわゆる「生食」という風習は、その数は少なくても世界各国にあります。
北極に住むイヌイット(エスキモーの中の1民族)は、アザラシやクジラだけではなく、トナカイやジャコウウシなどの肉も生で食べます。
これはビタミン不足を補うためですが、極寒の地だからこその食文化であって、他の地域には広まっていません。
魚介類や肉は腐りやすいので、暖かい地域での「生食」にはやはり保存という大きな問題があり、塩漬けにするとかなんらかの保存処理が必要でした。
そのため、世界的には「生食」があまり広まらなかったのでしょう。
ところが、同じ「生食」でありながら、世界各国で食べられ始めた料理が日本発の「刺身」や「握り寿司」です。
日本は海に囲まれているので、全国で鮮度のいい魚介類が手に入っていました。
それで、「刺身」や「握り寿司」が日本で広まっていったのです。
「刺身」や「握り寿司」を食べるのが日本で広まったのはいつ頃?
どうも、そんなに大昔ではなさそうです。
それには、必需品ともいえる「醤油」の歴史が大きくかかわっています。
日本で今のような醤油が最初に作られたのは、現在の和歌山県湯浅町あたりといわれています。
鎌倉時代の僧侶が中国から持ち帰った径山寺(きんざんじ)味噌の製法をもとに味噌が作られました。
そして、味噌からしみ出る汁がおいしいことに気づき、これが「たまり醤油」となったとされています。
最初は関西で広く使用されていた「たまり醤油」ですが、その製造方法から大量生産には向いていませんでした。
その後、江戸時代の初期から中期にかけての江戸の急激な人口拡大とともに、江戸の周辺地域で「濃口醤油」が考案され大量生産されるようになったのです。
「刺身」が広く食べられるようになったのは、関東で「濃口醤油」の大量生産が始まった時期と重なります。
「握り寿司」は、さらに遅れて、江戸時代の後半になります。
このようにして、生魚と相性の良い「濃口醤油」は江戸の食生活を大きく変えることになりました。
今や大人気のマグロは、醤油の恩恵を受けた魚の代表です。
マグロは腐りやすいために、江戸の人からは人が食べたがらない下等な魚とみなされていたのです。
そのわけは、塩漬けにしてから焼いて食べるというほかに、これといった食べ方もなかったからです。
しかし、醤油で赤身を漬け込むことで、塩を使わない保存を可能にした「ヅケ」という食べ方が登場してから、その価値が上昇したといわれています。
以上みてきたように、日本で「刺身」や「握り寿司」が広まったのは、江戸時代というわけです。